ゆとろぎ―イスラームのゆたかな時間
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カスタマレビュー
『ラーハゆとろぎ 幸せを感じる時間 ( 2008-11-02 )
ゆとりとくつろぎ
そこから、りくつを取り除いてみて下さい。
ゆとろぎ
著者の造語ですが、とてもゆったりとした味わい深い言葉に感じます。
異文化に触れた事のない私は、イスラームの世界を勘違いしていました。
日の出とともに起き、自然と神と供に生きる。
神は特別に存在するのではなく、そこにある石や空気と同じように、存在します。
時間もあるがままなのです。
日本では、勤勉に働いたあとの付属、またはご褒美的な意味合いにゆとりとかくつろぎが当てはめられます。
しかし、ここでは働く事や、遊びさえも人生の中では一番ではないのです。
『ラーハ』これをゆとろぎと翻訳した著者は、ゆったりとした時間を楽しむ事がラーハであると言っています。それは家でくつろぐとか言う意味ではなく、散歩であったり、また仕事中でも良いのです。
それこそが大人の証であると。遊びはゴルフでさえも子供のものだと言う認識です。
その生き方は、神とともにあり日本とはかけ離れたとお思いになるかも知れません。
でも私は思うのです。昔の日本も自然と共にあり、神々が身近であった頃、まだ宗教とも呼ばれなかった頃が、このイスラム世界とも共通の生き方が流れていたのではないでしょうか。
私は、むしろ日本の奥底にこそ『ゆとろぎ』的な世界観があると思うのです。
遊牧民であった彼らから学ぶ事は、生を楽しみ慈しむ事。
せっかく生まれたこの命を、もっと開放して『ゆとろぎ』のあるものにしてみませんか。
すべては 心の望むままに
拒否するのではなく 受け入れよう
しなければならない
こう在らねばならない
時間と比較選択の呪縛から解き放たれ 想うままに生きよ
すべては神と伴にあり一体である
焦りと怒りは神を忘れる
おそれることはない 今が永遠である
神と共に生きよ 感謝の日々とともに
店主おすすめの本です。
