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カスタマレビュー
アメリカの活気と危うさ ( 2008-12-29 )
あの司馬遼太郎がアメリカを体験し,独自の文明観によって分析した本。
筆者は 『文明』 と 『文化』 というものを対比させ, “地球上に久しぶりに出現した一大文明” としてアメリカをとらえていた。 また,その特徴である明るさと活力の源のひとつとして人工的な文明思想を挙げつつも,それと表裏一体のところにある多くの問題点や危うさについて驚きと不安を交えながら紀行文風に語っていた。
80年代後半のレーガン政権時代に書かれた本だけど,今でもその分析の的確さは色あせておらず,今更ながら感心させられることが多い。 アメリカを知らぬ人にとってこの本はアメリカという国を知る上での格好の概略書たりうるし,また長年アメリカに滞在した人間がくり返し読んでも,なるほどと感心させられるところが多い。 ほんの数週間の滞在でアメリカという国をこれだけ洞察できてしまえるというのは,さすがとしか言いようがない。
筆者はかなり前から日本のバブル経済の破綻を予見していたことで知られるが,この本の中でも “モノをしだいに作らなくなって” ゆくアメリカの経済について直感的に “亡びるのではないか” という不安をもらしていたのがすごく印象的だった。
アメリカ文明論 ( 2008-03-29 )
昭和60年頃に読売新聞に連載された司馬遼太郎のエッセイである。
新聞社の依頼で初めて米国へ行った旅行記であるが、「司馬遼太郎のアメリカ論」になっているところが、きわだっていた。
25年前の旅行記だったので、時代遅れでつまらないのではないかとおそるおそるという感じで読みはじめたが、そんなことはなくてたいへん面白かった。
司馬遼太郎の筆力はたいしたもので、少し前の時代の映画を観ているような臨場感がある
アメリカの風景を映した映画を観ながら(観るようにして)、司馬遼太郎のアメリカ文明論を聞くのは楽しい。
日本や、アジアについては詳しいし、もちろん旅行も何度もしている司馬遼太郎であるが、ことアメリカに関してはまっさらの状態だった。
と、彼自身が書いているとおり、1回目の旅行記はおずおずとした雰囲気から始まった。
司馬遼太郎は、楽しげに軽やかに旅を重ねながらもアメリカというモノをしっかりと観察をし、旅行が終わる頃には「アメリカ文明」についてしっかりした枠組みをこしらえて、読者に見せている。
「アメリカ素描」には2回の旅行記が収録されているが、2回目の旅は司馬の仮説「アメリカ文明」を検証するスタンスで書かれているように思った。
「アメリカ文明」と打って出たところが面白い。
ええ?アメリカ文明かよ、でしょう? たかだか300年の歴史しかない国について、これを文明と定義している。
私は若い頃に森有正に夢中になっていた時代があったが、彼が欧州文明に押しつぶされそうになりながら書きあげた悲痛な欧州文明論とは対照的である。
文明の国での文化探訪 ( 2008-03-14 )
普遍性をもつ文明の一枚皮でできた人工の国アメリカに対する司馬遼太郎の文化探訪。
契約でできた人工の国アメリカに司馬がいった2年後にアメリカに法律を学びに行ったが、その時のアメリカ感はアメリカ人は歴史に憧れているという印象であったが、本書を読むとその感覚はむしろ文化に対するものではないかという事がわかった。
ただし本書でも繰り返し述べられている様にアメリカの凄さは、その文明のあり様が十年単位ぐらいで変わっていくことだ。現在のアメリカは司馬が見たものと変わっているだろうし、同時多発テロ後ではさらに変わってしまっているだろう。しかし、司馬がこころみた様にアメリカを白地図にものを考える作業はいつの時代には必要な事で、そのよき手助けになる本である。
アメリカの文明と文化をめぐる、司馬遼太郎の意欲作。 ( 2007-09-13 )
司馬遼太郎はフィクションを作る小説家であるので、彼の史学者としての専門的な能力については、その文才ほどではないというところがあるのは周知の事実である。
むしろ彼が長けていたのは、史実の隙間にフィクションの可能性を見つけ、それを再構成する能力であるように思える。
アメリカの西海岸と東海岸をたったの40日間だけ見て回った彼は、アメリカという舞台でそれを試み、それなりにアメリカの本質らしきフィクションを抉り出すことに成功している。
両海岸地域しか訪れていないために、極めて薄っぺらな本質ではあるが。
アメリカの文明と文化をめぐる、司馬遼太郎の意欲作。
一つの文明論・国家論・文化論として読むと中々興味深いだろう。
アメリカを鏡にして日本を考えさせる本 ( 2006-07-21 )
アメリカを挑戦的な男の世界だとすれば、日本は身を守ろうとする女の世界だとは、昔から多くの人が指摘してきたことだ。作家の司馬遼太郎はアメリカと日本を比較するに際して、文明と文化のいずれを主軸にするかで考え、『文明はたれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なものを指すのに対して、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的なものでない』という観点から、移民を受け入れる多民族国家のアメリカと、排他的な国粋主義の日本の差をアメリカで実感している。そして、『人間は体力が衰えると、カイコがマユの中に入るように自分の文化にくるみたくなる』と考察し、日本の民族主義や国粋主義の伏流について危惧する。20年以上も前に書かれたこの本は、小泉や安倍が政治の舵を握ってしまい、民族主義の狂気が燃え盛っている現在の日本に対して、その恐れを危惧した予言が的中しているという点で、いささかも新鮮味を失っていない点で感動的でさえある。多くの日本人に先人の知恵を理解するために、是非とも読むように推薦したいだけでなく、過去に読んだ人には再読することを勧めたい。
