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カスタマレビュー
序章から魅了されること間違いなし ( 2007-04-10 )
3巻全部で塩野七生氏の「ローマ人の物語」第14巻のほぼ7割に相当します。寧ろ同巻がこの大河小説のサマリーのように思えるぐらいで、30年以上前の歴史学の水準とそれを徹底的にリサーチし、魅力ある想像上の人物を加える等してこれほどまでに見事な歴史絵巻を完成させた著者の筆力に敬服します。
本巻では、ユリアヌスの母の懐妊と産後の若過ぎる死から筆をおこし、コンスタンティヌス大帝の死と大帝が臨終に臨んで洗礼を受けた事実を作ろうとする司教エウセビウスの暗躍、コンスタンティウス帝の即位、その直後の粛清事件、帝国の混乱、若きユリアヌスに関しては幽閉生活とそれからの解放、兄ガウスの副帝即位と処刑までが描かれています。多くの緊迫した事件、エピソードが次々に展開し、巻を置くことあたわず。
そして読者は、序章冒頭の霧に包まれるコンスタンティノポリスの情景から、本書の格調の高さ・選び抜かれた言葉の魅力に心惹かれるでしょう。本作はまさに日本が誇るヨーロッパものの歴史小説の金字塔です。
ひたむきに生きる糧となる小説 ( 2006-09-26 )
30年ぶりに、文庫本ではない、厚い原版を取り出して読み返しました。キリスト教化するローマ帝国にギリシャ・ローマの神々を呼び戻そうとして戦火に倒れた皇帝の話しです。大部を一気に読ませるストーリー展開、史実への忠実さ、そこに流れる人間への本質的な信頼と宗教への疑念など、未だに色あせていません。その後の辻文学はむやみに厚く、文体も過度に装飾的で好き嫌いがハッキリしますが、この本は押しもおされもしない辻歴史文学の最高峰と思います。このようなヨーロッパ精神を形成した初期留学時のパリ日記も素敵です。
堂々たる諧謔 ( 2004-05-15 )
本作は、当時の日本文学界に対して放った痛烈極まりない、
そして見事に成功した一大挑戦である。
まず、物語としてはともかく、文学的には忌避されていた
英雄譚を主題に据えた。そして、鴎外の課したと信じられて
いた歴史文学に対する制約を軽々と捨て去った。さらに、
「現代日本語」という、当時の文学者にとっては限界ばかり
が主張されていた貧相な表現手段を、堂々たる芳醇かつ堅牢
な文体を用いて使い切ってみせた。
その上、西欧史の見知らぬ歴史絵巻を、現代的な視点から
の鋭い問題意識に基づくオマージュとして再構成しながら
、破綻することなく圧巻の大長編叙事詩を紡ぎ終えた。こん
な作品は、まさに空前にして、現在にあってなお絶後であろう。
この作品を知らない人は、本当に勿体無い。
老若を問わず、是非手にとって読んで頂きたい。
本当に読み応えのある、太く滔滔たる「大河」を持った
堂々たる「ドラマ」とは、こう、描くことができるものなのだ
ということを知って欲しい。
文学と芸術と美学の融合 ( 2004-02-27 )
辻邦生の『背教者ユリアヌス』に接したのは丁度30年前、13歳の中学生の時だった。10代に何を読んだかは生涯に渡って大きな影響を与える(特に『ジャン・クリストフ』)。当時、日本の作家による海外を舞台とした小説は井上靖の『蒼き狼』が最高と考えていた矢先、本書に出会ったのだから心底感動した。「東洋を舞台とする最高の作品が『蒼き狼』ならば、西洋のそれは『背教者ユリアヌス』だ!」どころか、「辻邦生は井上靖の後を必死になって突っ走っている!」などと、今思えば冷汗物の豪語を放っていた中学生の自分が妙に懐かしく思われる43歳の感慨である。今、読み返してみても、当時の感動は全く色あせる事無く蘇って来る。この雄大、美的、そして詩的な作品は、映画化不可能なまま、将来に向かっても不朽の光芒を放ち続けることであろう。
芸術としての文学 ( 2003-06-14 )
文学が芸術とかけ離れて久しい。
感覚に頼ったような、確かに一度くらいはお付き合いできる作品はいくらもある。
職人芸でブランド品を供給してくれる作家もたくさんいる。
でも違う。
文学本来が持っていた格調高い芸術性を追求した、まれな作家が辻邦生。
そしてその白眉たる、日本文学の誇りとも呼べる作品が本作である。
音楽的で、絵画的で、光り輝くような、それでいて抑制の効いた文体は、それだけでも至宝のようで、まさに読み終わるのが惜しくなる、そんな作品と言える。
辻邦生を読まずして「本読み」というなかれ。
