ロシアン・ダイアリー―暗殺された女性記者の取材手帳
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カスタマレビュー
ロシアの選挙を読む ( 2007-11-20 )
ロシアの下院選挙が迫っており、来年3月には大統領選挙が行われる。 このところNHKのBSによるRTRのニュースを見るとロシア全土が プーチン大統領が続投することを学生も市民も熱望している映像が繰り返し放映されている。ところが ロシア語のネット放送を聴けば学生ほかあらゆる形で プーチン大統領続投を熱望する国民像がつくられていることを視聴者が語っており、あれだけの公の大キャンペーンによくもこんなに堂々とまったく反対の意見が言われる物よと驚くばかり。日本の報道もそのことはちっとも捕らえられないようだ。ところが ロシアン・ダイアリーを読むと 今のような 結果が分かっている選挙のからくり、その準備のしくみが克明に記録されている。絶望に圧倒されるような現実をここまで辛抱強く記録するジャーナリストが 殺されてしまった ロシアに同情しないでいられないが、そういうひとたちが彼女だけではなかったことも この本を読むと 読みとれる気がする。 よくぞここまで絶望を抑えて書き続けた本を日本語で出版してくれたと思うが、まさに12月の下院選挙や来春の大統領選挙を読むのに これほど適した レンズはない と言うほかない。
柳の下にやはりどじょうはいた ( 2007-07-14 )
ポリトコフスカヤの遺作が出版されると聞いて期待に胸をときめかせた。そんなことをすると失望する可能性が高くなると分かっていても、前に読んだ彼女の「プーチニズム、報道されないロシアの現実」のすばらしいジャーナリズムがまだ記憶に新しく、ついつい待ち焦がれてしまった。実際読んでみると前の本とはかなり違う事を感じた。日記形式である為に内容の統一性が欠けている事である。しかしそれが故にリアルタイムのニュースをテレビで刻々と見ているがごとくの錯覚に陥った。一般にそのような即興のニュースは深さが欠けるものだが、この本はやはりポリトコフスカヤと思わせる,洞察の深い彼女自身の個人的な意見が要所要所に効果的に述べられている。現在ロシヤ国民の80%が表面なりとも支持するプーチン体制の暗い裏側を暴露する勇気にはいつも敬服する。墓の中からの告発である故もあってその重みは言うまでもない。読んでいくうちに、こんなことがあったのか、あるいはこんな解釈の仕方があったのかとあたかも宝物を見つけた様に感じたのは私だけでは無いだろう。
「プーチニズム」の本ともう一つ違うと感じたのは、まえの本は著者が読者にロシヤの政治や司法のバックグラウンドをあまり期待せず書いた本のように思えたのだが、この本は日常の政治的な知識が当たり前の様に書かれている事である。これはまさに翻訳家泣かせの本である。前に『こんな翻訳ならもう一度読んでみたい気がする』と書いた事がある。この本は翻訳者,鍛原多惠子氏のポリトコフスカヤの二冊目の本だが,政治的背景や言葉の宿題を極めて丁寧にしている点では前の本に勝るとも劣らない翻訳である。ロシヤの本に有りがちな何かそぐわない感じのする言葉使いを極力避けている点で翻訳者の心使いの感じられる本でもある。 期待に胸をときめかせたのは間違いではなかった。
「人として生まれた」から ( 2007-07-05 )
ロシアのように政府や警察機関が健全に機能していない場所では、殴られたり爪をはがされたりレイプされたり殺されたりしても救済される見込みはない。被害届けをまじめに聞き入れてくれる場所はなく、ただ、じっと黙っていることだけが再びの暴力を受けない唯一の方法なのだ。
不正を告発すべきジャーナリストとて例外ではなく、権力にとって望ましくない記者はいとも簡単にこの世から消されてしまう(時には死ぬより辛い仕打ちさえ)。誰かが後に続いてくれたら、世間が自分を支持してくれたら、多少の犠牲を覚悟してでも真実を伝えることができるかもしれない。だけど命をかけた必死の報道に世間の誰も賛同して大きな声を上げてくれなかったら?だったら自分が犠牲になったってしょうがない、黙っていたほうが賢明だと考えるだろう。そんな悪循環が起こっている。
ポリトコフスカヤはそうではなかった。権力者に弾圧を受けるばかりかロシア社会から冷たい目で見られても決して自分の信念を曲げることはなかった。この奇跡のような信念の理由は彼女に言わせれば簡単である。「人として生まれた」からだ。
本書は彼女の他の著作と同様に、誰も伝えない「ロシアの真実」をまさに命がけで伝えている貴重な一冊である。特に本書の良いところを挙げるとすれば、ポリトコフスカヤの取材手帳の集成であるため、さまざまなテーマについて彼女の見たもの、歩いた場所、感じたことをありありと知ることができる点である。そういった意味では、内容の範囲が広く詳細かつ専門的であるため、『チェチェン―やめられない戦争』や『プーチニズム』を未読の方はそちらを先に読まれることをお勧めしたい。
もう一冊の『ロシアン・ダイアリー』に寄せて ( 2007-07-02 )
本書はあるロシア人ジャーナリストの遺作である。彼女の名はアンナ・ポリトコフスカヤ。ロシア国内からチェチェン戦争を告発し、プーチン政権を辛辣に批判してきた彼女は、何者かに暗殺された。2006年10月7日、プーチン大統領の誕生日だった。
本書の序文にはこうある。「アンナの『ロシアン・ダイアリー』を読むと、なるほど彼女は生きるのを許されるはずはなかったのだと納得がいく。彼女が本書やこれまでの著書で明らかにした事実は、ウラジーミル・プーチンの政権にとってあまりにも打撃が大きい」。
その認識には同意しつつも、私は次のようなことを考えた。アンナはどうすれば殺されずに済んだのか?すぐに思いつく答えは二つある。一つは、彼女がプーチンのロシアに迎合すればよかったということ。そしてもう一つは、彼女以外の人間が彼女の言論の自由を守るために戦うべきだったということだ。世界が彼女を「ロシアの良心」と呼んだ理由が彼女の孤立ゆえだとすれば、それを許してしまった世界に彼女の死を悼む権利はあるのだろうか?
私たちはアンナの死を悼むとき、その死の理由の一端に自らが連なっているかもしれないと考えることはあるだろうか?彼女の代わりはもういないと嘆くとき、私たちは自分たちの良心を代弁してくれる新たな「アンナ」の出現を待望し、再びクレムリンへ生贄を捧げようとしていないと言えるだろうか?
アンナにロシアの良心を預けていた世界と、すべてをプーチンに委ね、彼に服従しているロシアは、互いの鏡像であると思う。そして、鏡が一枚であるという真実の中に、希望と絶望が混在しているのかもしれない。鏡のどちら側にいるにせよ、私たちにはそれを壊すことができるという希望と、私たちには「彼ら」がそうするのを待つことしかできないかもしれないという絶望が。私たちは今、アンナ・ポリトコフスカヤ亡き後の『ロシアン・ダイアリー』という鏡の裏面にいる。
