デッドアイ・ディック (ハヤカワ文庫SF)
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カスタマレビュー
すこぶる調子がいい ( 2007-12-24 )
「デッドアイ・ディック」の主役は、銃であり、ドラッグであり、
中性子爆弾であり、人々の偏見だ。
これらがたくみに物語の中で影響を及ぼしてくる。
その主役たちの周りで、へんてこなダンスを踊らされているのが
ルディであり、ルディの父であり、母であり、兄であり、
ドウェイン・フーヴァーとその妻だ。
途中途中にさし挟まれるレシピ、これがまたいい。
そして、人生は演劇だ、ときどき台本までもが登場する。
「デッドアイ・ディック」のヴォネガットはとにかく調子がいい。
油が乗っている。職人芸だ。上手い。
翻訳もすこぶる調子がいい。コトバが血肉になっている印象すらある。
あとがきを読めば、どのくらい調子がいいかがさらに伺える。
いいタイミングで訳されたと思う。
おしゃれな本 ( 2004-02-16 )
しかし、これは面白い。某日本有名作家が下敷きにしたであろうと推測される。
つまり、「ピンボール」のあたりのやつ。
文体がすこぶるカッコヨイのだ。ひねりとウィットと諧謔の応酬。
・これが人生に対する私の不満である。-生きているときは、だれもがすこぶる簡単にひどい間違いをしてしまう。
・誰もトロイのヘレネにリンゴを与えはしなかった。-少なくとも賞品としては。
・私は死んだ
だが、死ななかった。
・父は子供を信用して火気と実弾をあずけた自分の罪を、その請求書が来る前に生産するつもりだった。 なんたる気高さ!
・ココ最近、大勢のアメリカの女性が口にしている不満は、煎じ詰めればこういうことではないかと思うー彼女たちは、自分の人生が物語りとしては、不十分で、エピローグばかり長すぎることに気付いたのだ。
サバイバルのためのユーモア ( 2002-10-16 )
この作品を書いたヴォネガットという人は多分とても優しい人だと思う。なぜかというと彼にとっては人を打ち殺してしまった主人公の少年,そして不幸な薬物中毒の女性も世界の1部分であるといいきるからだ。
この物語りは,拳銃が手の届く所においてあったために不幸になった男が自分の人生のなにもかもを私達にむかってユーモラスに告白していくお話です。
その人生は悲劇的なのに,なぜかおかしい。笑ってしまいそうになる。
それはこの主人公が人生に愛情を持っているからだと感じる,自分の家族とその周りの人々を心から愛している。
ヴォネガットがユーモアという手法を取り入れたのは物事をシニカルに見ると新しい面が見えてくることを知っているからだろう。
シニカルに物事を見るという正面からではなく「ななめ」から物事を見るということだと思う。
悲劇を「ななめ」から見ると喜劇になるのです。
そんな,画期的な小説。
少年犯罪の加害者のその後 ( 2002-05-08 )
少年犯罪が起きる度に、この小説のことを思い出します。
「うっかり人を殺してしまったら、どこまで償えばいいのか」
この小説の主人公は、そういう事件の加害者。
何十年たった後もかかってくる「人殺しってどんな気分?」という
電話を淡々と受けとめてます。
“償い”をメインテーマにすえているわけではないですが、
人の噂も七十五日の後で加害者&家族がどういう人生をおくっていくのか。
なにを感じて生きていくのか。
誠実であるってことが、救いになるのか。
読み終わると、新聞や雑誌の犯罪報道では語られない、
別の視点を得たような気がしました。
主人公の父親の設定もそうですが、いわゆる世間からは非難される
なにかである人たちの心うちみたいなものが、たっぷり描かれてます。
ヴォネガットのいいところは、そういう深刻な話を、
笑いたっぷりに読ませてくれるところ。
まさに、人生何が起こるかわからない。
でも、他人のことだから、笑えるって感じです。
